6章 記憶2:記憶の適応的な特性
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6-1. 記憶と適応行動
6-1-1. 記憶の適応的な機能
適応論の観点からみた記憶の役割→過去の経験を現在の適応に活かすこと したがって、ほとんどすべての動物は何らかの記憶を持っている
本能(instinct):進化の過程で遺伝子に組み込まれている記憶 e.g. セグロカメモのヒナは親鳥のクチバシをつつけば餌をもらえると生得的に記憶している ヒナは親鳥のクチバシのように黄色くて赤い斑点がある細長いものであれば、それが鉛筆であってもつついてしまう(Tinbergen, 1953)
生得的な記憶では環境の変化にすばやく適切に対応することは難しい
人間の場合、記憶は大部分が後天的に獲得される
多くの場合獲得は短時間→環境の変化にすばやく対応可能
適応に役立つ情報は個人の実体験だけでなく、文化という形で蓄積されてきた情報を学習することでも獲得できる 特に宣言記憶の場合は言語を利用することで効率的に獲得できる
記憶が適応に役立つためには「過去に得た情報のうち、現在の状況で役立つものが自然に思い出される」という仕組みが必要
脳は大量のエネルギーを消費する高価な器官
役立たない情報を沢山蓄えるために高価な器官を維持していたのでは生存に不利になる
このような観点から人間の記憶をみなおすと3つの大きな特徴がある(次項)
6-1-2. 記憶の3つの特徴
利用する可能性が高い情報を憶えておく
意味を記憶している場合が多いのは意味的な情報のほうがあとで役立つ可能性が高いからだと考えられる
類似した状況で得た情報ほど思い出しやすい
行動決定に役立つ可能性が高い
個別的な経験よりも類似したいろいろな状況での経験を統合しておき、それを思い出す方が役立つ
6-2. 利用可能性
6-2-1. 「写真のような」記憶
写真のような記憶
コストが嵩む
あとで役に立つ可能性がほとんどないものもある
情報の検索が難しい
写実的に記憶している人を研究→少しも便利ではないことを見出した(Parker, Cahill, & McGaugh, 2006)
何年前の情景でもありありと思い出すことができる
そうした情景が脈絡もなく浮かんでくるので、筋道立てて考えを進めることが難しい
成績も悪く、日常生活も困難
6-2-2. 意味の記憶と外形の記憶
限りある脳の容量を有効に使うためには、概念的な意味情報だけを保存しておくほうが有利
実際、「意味情報は思い出せるが、見かけについての情報は思い出せない」という場合の多いことが繰り返し確認されている
実験説明をしている途中で、二つの文を見せられる。説明していたのは二つの文のうちどちらか
選択肢(1): markとcarefullyの順序が入れ替わる。文型だけ
正答率が50%(チャンスレベル)→憶えていなかった
選択肢(2): correctとyourの順序が入れ替わる。意味も変わる
すべての被験者が正解
認知心理学を代表する研究者の一人であるJ・R・アンダーソンが大学院生時代に行った実験(Anderson, 1974) 物語のなかに「宣教師は画家を銃で撃った」という一文が出てくる
宣教師は画家を銃で撃った
画家は宣教師に銃で撃たれた
画家は宣教師を銃で撃った
宣教師は画家に銃で撃たれた
内容と一致しているかどうかを尋ねる質問
直後群と2分後群どちらも非常に高く遅延時間の影響はほとんどなかった
同じ文章かどうかを尋ねる質問
直後99%、2分後56%
外形の違いに関する情報はごく短時間で思い出せなくなってしまう
6-2-3. 日常的な場面の記憶
ニクソン大統領の法律顧問だったディーンの証言は詳細を極めていた ディーンの記憶はそれほど正確ではなかった
言葉遣いはもとより、場合によっては個々の発言の要点まで異なっていた
大統領が事件やそのもみ消しにどのように関与していたかという基本的な事実に関しては彼の記憶は間違っていなかった
6-2-4. 外形の記憶
もちろん人間が外形を記憶できないというわけではない
利用可能性が高ければ外形を記憶しておくこともできる
言語を材料にした実験(Wanner, 1968)
似たようないくつかの文の中から文章の中で実際に聞いた文を選ぶように求められた
意味は同じで形だけが違う文と元の文を識別しなければならなかったときは、正答率は50%程度
文章聞く前に聞いたその文を思い出せる能力をあとでテストすると予告されていた条件では正答率は80%にも達した
6-2-5. 処理水準
意味を考えた場合は後で思い出しやすくなるのではないかと予想される
実際にそうなることは数多くの実験によって確かめられている
実権参加者は40個の単語を一つずつ見せられた。
記憶の実験であることは知らされず、ただそれぞれの単語について質問のどれかに答える。(方向付け課題 orienting task) 不意打ちの記憶テスト
見せられた40語と見せられなかった40語の合計80語がランダムで提示される
個々の単語について先程の質問の時に見せられた単語かどうか答えた(再認テスト recognition test) 正答率:形態<音韻<意味
処理水準(levels of processing) 「深い情報処理をするほどあとで思い出しやすくなる」と仮定
感覚情報の処理は浅い処理
意味の理解にまで到達すれば深い処理
6-2-6. 自己参照効果
自分自身に関連のある情報はあとで参照する可能性が特に高い
利用可能性の基本原理から考えると自分自身に関連のある情報は特に覚えていると予想される
実験で数多く報告されている
ロジャーズらの実験(Rpgers, Kuiper, & Kirker, 1977) 40個の形容詞について4種類の質問
大きい文字ですか?(形態条件)
「○○○」と韻を踏んでいますか?(音韻条件)
「○○○」と同じ意味ですか?(意味条件)
あなたにあてはまりますか?(自己参照条件)
記憶の実験であるとは知らされておらず、できるだけたくさん思い出すように求められた
形態<音韻<意味<自己参照
6-3. 状況の類似性
6-3-1. 符号化特定性原理
類似した状況で得た情報を選択的に呼び出すことができれば適応に有利に働くはずである
符号化特定性原理(encoding specificity principle) 一緒に憶えたことは一緒に思い出しやすいという特性
記憶に関する数多くの実験事実を貫く基本的な原理
符号化(enocoding):記号に変換
同じ文脈→想起確率:高
違う文脈→想起確率:低
部屋実験
騒々しい部屋と静かな部屋
学習と再生テストは同じ部屋と違う部屋で行う場合がある
同じ状況だと違う状況よりも倍近く再生できた
6-3-2. 陸上と海中での記憶
バドリーの実験(Godden & Baddeley, 1975) 陸上 or 海中で記憶→陸上 or 海中で想起
同じ状況で憶えた単語の方が思い出しやすかった
6-3-3. 状態依存記憶
気分一致効果(mood-congruence effect : Bower, Gilligan, & Monteiro, 1981) 楽しい気分の時には楽しい事柄を、悲しいときには悲しい事柄を思い出しやすい
気分依存効果(mood-dependency effect : Bower, Monteiro, & Gilligan, 1978) 楽しい気分の時に憶えたことは楽しい気分のときに、悲しい気分のときに憶えたことは悲しい気分のときに思い出しやすい
酔っ払った時に憶えたことはよっぱらいてるときに思い出しやすいという実験結果もある(Parker, Birnbaum, & Noble, 1976)
こうした現象を一括して状態依存記憶(state-dependent memory)と呼ぶこともある 実験(Eich et al., 1975)
タバコとマリファナ
体の状態を学習のときと同じ状態にするとテスト成績がよくなる
6-3-4. 同じ処理と違う処理
想起(recall; retrieval) : 思い出すこと 処理水準説によると、記銘の時に深い処理をするほど、想起の成績は良くなるはず
記銘のときに浅い処理→想起のときの処理が同じ浅い処理であれば想起の成績はよくなるという事実が報告された(Morris, Bransford, & Franks, 1977)
クレイクとタルヴィングの実験に、記憶テストの方でも二種類の処理課題
音韻再認課題の成績は意味と音韻の成績が逆転した
6-3-5. 転移適切処理
転移適切処理の原理(principle of transfer appropriate processing : TAP) 記銘の時にした処理と想起の時にする処理が似ているほど想起の成績は良くなる
この原理を裏付ける実験結果は数多く報告されている
クレイクとタルヴィングの処理水準実験で意味の処理をしたほうが想起成績が良かったのは、想起テストが意味の処理を必要とするテストだったからだ、ということになる
もっとも、記銘と想起どちらでも音韻処理をした場合の想起成績は、記銘と想起どちらも意味処理をした場合の想起成績には遠く及ばないことがわかる
必ずしも意味の処理をしたほうが想起成績は良くなるという処理水準説と両立し得ないわけではない
6-3-6. 転移適切処理の適応的な意味
適応的に考える
いま意味に関心があるのなら、同じ意味を持った事物を思い出すことが役に立ち、いま外見に関心があるのなら、おなじ外見をもった事物を思い出すことが役に立つ
6-4. 統合性
人間の記憶のイメージはメモをすることか?
メモ・モデルは人間の記憶の実態とはかけ離れている
メモはもとのまま出てくる
メモは多少の劣化はあるかもしれないが、内容が変わってしまうことはない
記録されなかった情報が付け加わるとか1枚の紙に書いたメモの内容が別の紙に書いたメモの内容と混ざりあって出てくるとかいうことはありえない
6-4-2. 提示されなかった情報の「想起」
1930年代に記憶が上記のようなものでないことはケンブリッジ大学の記憶研究者バートレット(F.C.Bartlett)が明らかにしている 「キャロル・ハリスに対する専門的な援助の必要性」という文章をそのまま読ませる群とヘレン・ケラーに置き換えた群にわける
1週間後の再認テストで「彼女は耳が聞こえず、口が聞けず、目が見えなかった」を混ぜた文を提示
文章があったかどうか→キャロル群は5%、ヘレン・ケラー群は50%
実験参加者の半数は1週間前に読んだヘレン・ケラーについての情報が、その前から持っていたヘレン・ケラーについての情報と見分けられなくなっていた
6-4-3. 想起のなかの思考
思い出す→持っているいろいろな情報をもとにして、今直面している問題についてどのような答えが適切なのかを判断するプロセス
情報を取り出すだけでなく、情報を統合する思考も必要
ブランズフォードらの実験(Bransford, Barclay, & Franks, 1972) 文を想起しようとしているあいだには、まさしく思考を行っていることを示している
実権参加者は21個の文を聞かされたが、その中には次の文のどちらかが含まれていた
(1) 浮かんでいる1本の丸太のそばで3匹の亀が休んでおり、彼らの下では1匹の魚が泳いでいる。
(2) 浮かんでいる1本の丸太の上で3匹の亀が休んでおり、彼らの下では1匹の魚が泳いでいる。
再認テスト
(3) 浮かんでいる1本の丸太のそばで3匹の亀が休んでおり、それの下では1匹の魚が泳いでいる。
(1)を聞いた実験参加者は聞いていないと正しく答えた
(2)を聞いた実験参加者は聞いたと答えた
誤りだが理屈の上では(3)の文は(2)の文と矛盾しない
この結果は推測を実際に働かせたことを物がっている
6-4-4. 記憶の捏造
アメリカでは2003年、死刑制度の支持者だったイリノイ州の知事が同州の死刑囚全員(167名)の減刑を発表
4年の任期中、死刑囚8名もの無実が証明された(松井・立石・小谷・中西, 2003)
アメリカでは主にDNA鑑定によって囚人の無実が証明されるケースが相次いでいる
こうした冤罪の多くでは有罪判決の根拠として誤った目撃証言が関わっている
6-4-5. 目撃証言の実験
自動車が走ってきて交通事故を起こすまでの一連の場面を映した30枚のカラースライド
そのうち1枚は自動車が交差点で停車した場面→停止の標識が写っていた
質問
正情報群:「自動車がの標識で止まっていたとき、別の自動車が通過しましたか?」
誤情報群:「停止」→「徐行」
20分間スライドとは関係のない文章を読んでから、スライドについての記憶を調査
2枚のスライドのうち、前に見たスライドを答える再認テスト
「停止」と「徐行」の標識
「停止」質問→正答率75%
「徐行」質問→正答率41% (50%よりも低い)
6-4-6. メタ記憶
弘前事件の場合、面通しのときの記憶が事件のときの記憶と区別できなくなっていたからではないかと考えられる メタ記憶(metamemory) : 自分の記憶の働き方についての認知 「忘れないようにするためには何度も心のなかで繰り返すほうがよい」ということは大概の大人は知っている
「想起された情報は関連のありそうな様々な情報を統合したものだ」という記憶の性質は普通の人のメタ記憶には含まれていない